2007年01月14日
35年前と35年後
子供らの学校でのスキー学習に備えて一度練習に行きました。テイネオリンピアはこのメンツで行くのは初めてでしたが高速を使えば30分で行けてしまったりして少々驚いたのです。
このスナップ写真は単純な記念撮影ではありますが札幌がsapporとして発展していくきっかけとなった重要な歴史のオーラがこの写真には写っています。こういう情景をバックにできることはもう無いのかもしれません。黄色いネコ耳をつけたバスは違います。
札幌オリンピックのアルペン会場だった手稲山の聖火台、13日は正午と16時からおのおの30分ずつ点灯されました。35年ぶりの点灯だということでそれは当時8歳だったことを思えば聖火を見て懐かしいと思うのはいかにもウソ臭い話になるわけですが、懐かしさというのはその後のスキーを覚えていく過程においてこの聖火台のあるオリンピアやハイランドにとにかく連れてこられてスパルタとか特訓とかそういう表現できる技法じゃなく「連れていかれる」ことによって叩かれるいわゆる山岳地帯におけるDVだなと今は思います。ようするにスキーを教えられるとか言葉で激が飛ぶとかではなく、身もすくむ崖のような女子大回転の壁に連れていかれることがなによりもDVであり連れていかれればどんな手法を使おうが降りていくしかないことでした。いつもいつも辛い思いをしながら上達していった手稲山の聖火台が明るく燃えるのがなにか違う意味でココロにしみる感じがしています。そうやって連れてこられた山にいま、自分の子供と聖火台の火を見ることから感じることは年齢なりのものだなと思います。
Posted by Elizabeth at 18:55│Comments(2)
│Result
この記事へのコメント
札幌近郊の人やはり、オリンピアですよね。
こちとら、ゲレンデデビューは20代です。
しかも、初めて連れていかれたのは、藻岩山の「うさぎだいら?」というコブだらけのところでした。とにかく、降りました。DVではなく先輩社員のいじめだったかもしれません。(笑)
運動オンチなのです。
今じゃ、子供の方が背が高く、スキーは上手なのです。
こちとら、ゲレンデデビューは20代です。
しかも、初めて連れていかれたのは、藻岩山の「うさぎだいら?」というコブだらけのところでした。とにかく、降りました。DVではなく先輩社員のいじめだったかもしれません。(笑)
運動オンチなのです。
今じゃ、子供の方が背が高く、スキーは上手なのです。
Posted by そば太郎 at 2007年01月14日 21:13
さすがに札幌からメチャ近いスキー場だけあって混んでますね手稲は。私らは高校時代といえば毎日放課後に藻岩山まで行き部活していましたがそば太郎さんのデビューコースである兎だいらは藻岩最高級の難斜面。当時、大学生のスキー部員が立ち木に激突してこの世を去る事件があったりしました。よくぞあんなコースでデビューしましたね!先輩に感謝でしょうか(笑)
Posted by nitride at 2007年01月15日 23:19